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- トーホク6県の面積度外視した位置地図です。青い部分が東北5県です。
東北地方 ウィキペディア - 人口、財政力指数は2004年現在。財政力指数は、ふところ具合を示し、1以上は財源を自力調達できることを示します。財政力指数の全国平均は0.4です。東京は1を超えており、国からの援助を必要としません。知事の強気の発言の元でもあります。埼玉は0.6です。
- 02 青森県庁 150万人 0.3 三内丸山遺跡
- 03 岩手県庁 140万人 0.3 中尊寺
- 04 宮城県庁 240万人 0.5 松島
- 05 秋田県庁 120万人 0.2 男鹿半島
- 06 山形県庁 120万人 0.3 立石寺
- 07 福島県庁 210万人 0.4 鶴ヶ城
- 東北地方の将来性は高まり、この地方への遷都論さえ提唱されるようになってきています。
トーホクの地方紙 地方紙の発行部数
対馬海流のルート - 北前船のルートは、大阪→瀬戸内海→関門海峡→北陸(越前、加賀)→北海道の松前(函館近辺)でした。対馬海流は、海の中を小走りぐらいのスピードで走っています。北前船は1900年頃(明治30年代)に鉄道網が形成されるまでつづきました。
- 1609 年家康は、船は500石積み以下とすることと決めました。マストは1本だけにし、甲板(かんぱん)は禁止でした。船を甲板でふたをして沈まないようにする ことは許されませんでした。その前の時代には、複数のマストをもった多帆船(たはんせん)が南方へ遠洋航海していました。家康の禁令により、波の荒い太平 洋岸の航海は不可能になりました。
- 秋田県や青森県の津軽側では暖かい対馬海流のおかげで、物成りは豊かでした。
- し かし、岩手県側には、寒流の親潮が南流しており、稲作には向いていませんでした。太平洋側では、冷たく湿った北東風のやませ(山背)のため、雲や霧が発生 し、日照時間が少なくなり、気温も低くなり、凶作、飢饉をおこしました。ある時代には3年に1度の飢饉がありました。(「やませ」は山を背にして吹く風で はなく、闇風(やみかぜ)からの転化といわれています。)
- 米=貨幣=信仰でしたから、米のとれない南部藩は貧しくわずか10万石にすぎませんでした。(伊達藩は実質200万石でした。)司馬遼太郎は、古代の日本に食肉の習慣があれば、飛鳥走獣の豊かな南部藩はデンマークのように繁栄したであろうといっています。
北前船 石川県庁